3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1974〜78年)を加工して作成。線路の線 © OpenStreetMap contributors(留萠鉄道の一部は当サイトが空中写真から引いたおおよその位置)。高さは1.5倍に強調
廃線でわかる北海道
留萌本線はなぜ消えた?
留萌本線は、函館本線の深川駅から日本海の留萌、増毛まで延びていた鉄道です。
2026年4月1日、最後に残った深川〜石狩沼田が廃止され、留萌本線はすべてなくなりました。
スクロールすると、港へ鉄道が開業したころからたどります
路線の全体
3回に分けて消えた、約67km
線の色は廃止された年です。赤(留萌〜増毛)は2016年、黄色(石狩沼田〜留萌)は2023年、水色(深川〜石狩沼田)は2026年に廃止されました。
OpenStreetMapの線路跡をつなぐと、深川〜増毛は約67kmです。標高データで測ると、深川駅は約51m、留萌駅と増毛駅は約4mです。
1910年
留萌港へ向かう鉄道
1910年11月23日、深川〜留萠(今の留萌)が開業しました。当時の留萌港は北海道北部の主な港で、石炭や木材、海産物の積み出しでにぎわっていました。
同じ1910年には、北海道開拓計画事業として留萌港の工事も始まっています。
1921年
鰊の町、増毛へ
1921年11月5日、留萠〜増毛が開業し、深川〜増毛が全通しました。工事は1917年に始まり、4年7か月かかりました。増毛の町の人たちが待ち望んだ鉄道でした。
増毛は、鰊漁で栄えた「千石場所」です。増毛駅は、鰊の豊漁のころ、人や荷物を運ぶ拠点としてにぎわいました。
1930年
炭鉱へ延びた、留萠鉄道
1930年、雨竜炭鉱の石炭を留萌港へ積み出す私鉄の留萠鉄道が開業しました。紫の線が、恵比島駅から分かれて炭鉱を結び、昭和駅に至る「炭砿線」です。
留萠鉄道には、留萌駅から港を回る臨港線もあり、1941年に国のものになりました。1935年には、札沼線が石狩沼田駅でつながっています。
1970年代
留萌の駅と港
1974〜78年の空中写真に切り替えました。留萌の駅と港のまわりです。
留萌港は、1936年に国際貿易港、1952年に重要港湾に指定されました。北海道開発局は、古くから内陸の石炭と道産の木材の積み出し港として栄えた港と紹介しています。
1971年
炭鉱が閉じ、留萠鉄道も
1971年、炭鉱が閉山し、留萠鉄道は全線が廃止されました。
写真は、廃止から数年後のものです。紫の線は、多くがOpenStreetMapの線路跡で、つながらない所は当サイトがこの写真から引いたおおよその位置です。
1950年代
鰊が来なくなる
増毛町の資料では、1949年の春鰊の大漁が「日本海沿岸の鰊景気の最後」でした。1952年にも大漁がありましたが、その後、増毛の春鰊漁は減り続けました。
北海道の鰊は大正のころから減り続け、昭和に入ると、漁の中心は留萌など日本海の北の海岸に移っていました。
1978〜84年
貨物がなくなり、無人駅に
増毛駅では、1978年に貨車で運ぶ貨物の取り扱いが終わりました。鰊の豊漁のころは手狭だった貨物の倉庫は1970年に解体されています。
1980年に深川〜増毛の急行「ましけ」がなくなり、1984年に増毛駅は無人駅になりました。
1987〜2015年
減っていく利用
1987年、国鉄の分割民営化で留萌本線はJR北海道の路線になりました。
深川市の広報では、1日1kmあたりの平均の利用者数(輸送密度)は、1987年度の418人から2024年度には199人に減りました。2015年6月、JR北海道は廃止の意向を沿線の市町に伝えました。
2016年
最初に、増毛までが消える
2016年12月4日の運行で留萌〜増毛の営業が終わり、12月5日に廃止されました。増毛駅19時48分発の深川行きが、最後の列車でした。
最後の日、増毛駅前の商店会は、最終列車をペンライトで見送る催しを予定しました。
2020〜23年
高速道路と、2回目の廃止
2020年、深川留萌自動車道が全線開通し、バスや自家用車で深川と留萌を行き来しやすくなりました。
2023年4月1日、石狩沼田〜留萌が廃止されました。JR北海道は、はじめ2023年9月30日としていた廃止日を、国の手続きを経て繰り上げています。
2026年
115年の終わり
2026年3月31日の最終運行で、残っていた深川〜石狩沼田(14.4km)も鉄道の営業を終え、4月1日に廃止されました。深川駅などでは、最後の列車を見送る式が開かれました。
深川市は代わりの交通として、深川市と沼田町を結ぶ路線バス「きたそライナー」を4月1日から走らせると案内していました。
現在
終着駅の記憶
増毛駅は、高倉健さんが主演した映画「駅 STATION」の舞台として知られています。
駅舎は開通当時の姿に復元され、映画に出てくる「風待食堂」の建物は観光案内所になっています。

