3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年)を加工して作成。線路の線 © OpenStreetMap contributors。高さは1.5倍に強調
廃線でわかる北海道
手宮線の線路はなぜ残っている?
小樽の街なかには、レールが敷かれたままの散策路があります。旧手宮線です。冬には「小樽雪あかりの路」の会場にもなります。
列車が走らなくなって40年近く。なぜ線路は残っているのでしょうか。
スクロールすると、1880年の開業からたどります
路線の全体
南小樽から手宮まで、約2.6km
黄色い線が手宮線です。今の南小樽駅から街なかを北へ進み、港のそばの手宮まで、約2,600mの区間でした。
線は、OpenStreetMapの線路跡を今の散策路と昔の空中写真で確かめたおおよその位置です。
1880年
北海道で最初の鉄道
1880年11月、官営幌内鉄道の手宮〜札幌が開通しました。北海道で最初の鉄道です。開通当初は1日1往復、片道3時間で、運賃は1円でした。
2年後の1882年には、幌内(今の三笠市)まで全線が開通します。目的は、幌内の石炭を小樽港から積み出すことでした。
1961〜69年
港のそばの、手宮の構内
1960年代の空中写真に切り替えました。手宮には、何本もの線路が扇形に広がる大きな構内がありました。
1885年にできた機関車庫は、現存する国内最古の機関車庫です。
1911〜44年
石炭を積み出す、高架の桟橋
1911年、手宮駅近くの岸壁に、石炭を積み込むための高架桟橋が造られました。長さ289m、海面からの高さ19mとされます(国の観光資料では長さ313m、高さ20m)。
桟橋は1944年に廃止されました。今は、小樽市総合博物館の裏の斜面に、そこへ向かう線路を支えたレンガの擁壁が約85m残ります。
1912年
街なかに、旅客の駅
石炭の輸送を優先するため、旅客営業は1906年までに一時止まりましたが、住民の運動で1912年に再開しました。
同じ年に、色内仮停車場(のちの色内駅)が造られました。今の市立小樽文学館・美術館の隣です。色内駅は休止と再開を繰り返し、1961年に廃止されました。
1962年
旅客の列車がなくなる
石炭から石油へエネルギーが移り、物の運び方も変わりました。1962年、手宮線の旅客営業が廃止されます。
それからは貨物の線路として使われました。
1985年
手宮線の廃止
1985年、手宮〜南小樽が廃止され、手宮線はすべての役割を終えました。
同じ年、市民が中心になって、跡地の使い方を話し合う会議が発足します。
1996〜98年
路面電車か、散策路か
1996年、線路を使って路面電車を走らせる案と、散策路として早く使えるようにする案の2つが出されました。
1998年の沿線の住民への調査では、路面電車を望む人が23%、散策路が48%、両方が19%でした。
2001年
線路を残した、オープンスペース
2001年、小樽市は中央通〜寿司屋通りの510m(水色の線)の用地を取得しました。
将来の輸送機関としての可能性を残しながら、線路を残したオープンスペースとして整備しました。
2007〜16年
博物館までつながる
2007年、中央通〜小樽市総合博物館の1,160m(緑の線)の用地も取得しました。
オープンスペースは2016年11月に完成しました。
現在
最古の機関車庫が残る
手宮の構内の跡は小樽市総合博物館になり、機関車庫や転車台などが旧手宮鉄道施設として2001年に国の重要文化財に指定されました。
散策路の一部は、日本遺産「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」の構成文化財です。
現在
線路は、三笠へ続いていた
手宮線は、幌内鉄道の海側の端です。線路は小樽から札幌、岩見沢を通って、石炭の出る幌内まで続いていました。
散策路を歩くと、石炭の港として栄えた小樽の始まりをたどれます。

