3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年)を加工して作成。線路の線 © OpenStreetMap contributors。高さは1.5倍に強調
廃線でわかる北海道
幌内線はなぜなくなった?
三笠市の幌内は、北海道で最初の鉄道が石炭を積み出した所です。1882年に開通した線路は、1987年に廃止されるまで100年あまり使われました。
炭鉱の町と鉄道は、どのように生まれ、消えていったのでしょうか。
スクロールすると、1879年の炭鉱の始まりからたどります
路線の全体
岩見沢から、幌内と幾春別へ
黄色い線が、岩見沢から幌内へ向かう線路です。1882年に開通した区間です。水色の線は、あとから延びた三笠〜幾春別です。
線は、OpenStreetMapの線路跡を1961〜69年の空中写真で確かめた、廃止されたときのおおよその位置です。
1879年
幌内炭鉱が開く
1879年、幌内炭鉱が開かれました。最初に掘られた音羽坑は、延長約700mの坑道です。北海道の近代炭鉱は、ここから始まりました。
幌内炭鉱は、1989年の閉山までの100年あまりで、合わせて5,500万トンの石炭を掘り出しました。
1879〜80年
石炭を、どう運ぶか
はじめは、幌内から幌向太(今の江別市豊幌付近)まで鉄道を敷き、石狩川を船で下って小樽へ運ぶ計画でした。
ところが幌向太のあたりは湿地が多く、石狩川は冬に凍って船が通れません。アメリカ人技師クロフォードの提案で、小樽まで鉄道で運ぶことになりました。
1882年
幌内まで、鉄道が通る
1880年に手宮〜札幌が開通し、1882年11月には幌内まで鉄道がつながりました。新橋〜横浜、大阪〜神戸に続く全国で3番目の鉄道で、産業鉄道としては日本で最初でした。
同じ年に、岩見沢駅と幌内太駅ができました。幌内太駅は、のちの三笠駅です。
1884〜85年
アメリカから来た鉄の橋
1884年に郁春別川、1885年に幌向川へ、アメリカから輸入した鉄のトラス橋が架けられました。長さはどちらも約30mです。
2つの橋は1916年に下野軌道(今の東武鉄道)へ移され、1997年まで使われました。1つは三島市で復元され、もう1つは岩見沢市に戻って保管されています。
1888〜89年
幾春別へ延びる
1886年に幾春別炭鉱が開かれると、幌内太から幾春別へも線路が延びました。1888年12月に完成し、1889年に開通しています。
幾春別の「魚染めの滝」は、1888年に鉄道と住宅地を造るため、幾春別川の流れを付け替えたときにできた滝です。
1889〜1906年
会社の鉄道から、国の鉄道へ
1889年、幌内炭鉱と鉄道は北海道炭礦鉄道(北炭)に払い下げられました。北炭は、岩見沢から室蘭や歌志内へも線路を延ばします。
1906年の鉄道の国有化で、鉄道は国のものになりました。その後は国鉄の幌内線として、石炭を運び続けます。
1960年
人口6万人の炭鉱の町
1961〜69年の空中写真に切り替えました。三笠駅から幌内へ上る谷に、住宅がびっしりと並んでいます。
三笠市の人口は、1960年4月の6万3,360人がいちばん多い時でした。市内で掘る石炭の量も、1960年代にいちばん多くなります。
三笠〜幌内
明治の線路が、そのまま残る
赤い線が、三笠〜幌内の約2.7kmです。1882年の開通当時の線路を受け継いだ区間で、廃止のあとも全線に線路が残っています。
北海道の資料では、三笠駅を出てすぐ、25‰(1kmで25m上る)の急な坂とS字カーブが始まります。標高データで測ると、三笠駅から幌内駅までは約30m上ります。
1971〜89年
炭鉱が閉じ、鉄道も消える
1971年に奔別炭鉱が閉山し、人口は約1万人減りました。廃止のころの幌内線は、岩見沢〜幾春別の本線と、三笠〜幌内の貨物の支線でした。
1987年、国鉄の分割民営化に伴って、幌内線は廃止されました。JRになってから廃止された最初の路線です。2年後の1989年には、最後の炭鉱だった幌内炭鉱も閉山しました。
1987年〜
線路の上を、トロッコが走る
幌内線が廃止された1987年、幌内駅の跡に三笠鉄道村ができました。北海道の鉄道発祥の地を記念し、鉄道の歴史を残すためです。
三笠駅の跡はクロフォード公園になりました。三笠〜幌内の線路では、三笠トロッコ鉄道が約2.5kmを走ります。
現在
駅舎も残る
1929年にできた唐松駅の駅舎は、日本遺産「炭鉄港」の構成文化財です。2つの棟が直交する、独特の屋根の形をしています。
萱野駅は、2001年に地域の人たちの活動で再生され、ライダーハウスとして開放されています。
現在
線路は、小樽へ続いていた
幌内線は、小樽の手宮から始まった幌内鉄道の、山側の端です。幌内の石炭は、岩見沢と札幌を通って、小樽の港へ運ばれました。
小樽の街なかに残る旧手宮線も、同じ鉄道の一部です。

