北海道暮らしの読みもの

3D地形を読み込んでいます

地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年)を加工して作成。線路の線 © OpenStreetMap contributors(一部は当サイトが空中写真から引いたおおよその位置)。高さは1.5倍に強調

廃線でわかる北海道

狩勝峠の旧線はなぜ消えた?

狩勝峠は、石狩(南富良野町)と十勝(新得町)の境にある峠です。今は国道38号が越えています。

かつては、道央と道東を結ぶ鉄道もこの峠を越えていました。

スクロールすると、峠に鉄道を通したころからたどります

路線の全体

落合から新得まで、約28km

黄色い線が、1907年から1966年まで使われた、落合〜新得の線路です。通称「狩勝線」と呼ばれました。

標高データで測ると、落合駅のあたりは約420m、峠のトンネルの口は約530m、新得駅は約190mです。新得側は、約18kmで約340m下ります。

1896〜1901年

「狩勝峠」と名付けた技師

1896年の北海道鉄道敷設法で、旭川から十勝を通って道東へ向かう鉄道が決まりました。北海道庁は、技師の田辺朔郎に頼んで建設に取りかかりました。

南富良野から新得へ越える道は2つの案が比べられ、坂は急でもトンネルが短くて済む狩勝峠の案が選ばれたといわれています。田辺は、石狩と十勝の一字ずつを取って「狩勝峠」と名付けました。

1901〜05年

固い岩と湧き水のトンネル

1901年4月に落合〜新得の工事が始まり、7月から峠の下に狩勝トンネル(約954m)を両側から掘りました。北海道で初めての本格的な山のトンネルです。

固い岩と湧き水で、1日に0.3〜0.9mしか掘れない日もあり、完成は1905年1月でした。白い線がトンネルです。工事では多くの労働者が過酷な条件で働かされ、命を落とした人も多かったと伝えられています。

1907年

道央と道東がつながる

1907年9月8日、旭川〜帯広が開通しました。このとき新得駅と新内信号所(1909年に駅)ができています。

先に開通していた帯広〜釧路と合わせて、旭川〜釧路が1本の鉄道でつながりました。新得では、開通の日の9月8日が新得神社のお祭りの日になりました。

峠の新得側

坂をゆるめる、大きなカーブ

坂は最も急な所で1000分の25(1kmで25m上る)、カーブは最も小さい所で半径180mでした。

新内駅と峠のあいだは、坂をゆるめるために線路が山の斜面を大きく回っています。馬のひづめの形に回る「大カーブ」は、長さ770mあり、今も狩勝峠から見えます。

1960年代

空中写真に写る、くねった線路

1961〜69年の空中写真に切り替えました。森と牧草地のあいだを、線路が大きく曲がりながら下っていくのが見えます。

新内駅と峠のあいだには、深さ約76mの沢を越える「新内沢の大築堤」(1904年完成)や、石とレンガで造った新内トンネル(約124m)もありました。

1927年

日本八景の「狩勝峠」

1927年、新聞社が全国からはがきの投票で募った「日本新八景」で、狩勝峠が平原の部に選ばれました。決まったときの名前は「日本八景」です。

大阪毎日新聞と東京日日新聞が募ったもので、はがきは9,348万枚集まりました。

峠越えの苦労

機関車2両で上る坂

急な坂のため、重い貨物列車は機関車を2両つないで引くなど、運ぶ効率がよくありませんでした。

トンネルの中も1000分の25の上り坂が続いて空気が入れかわりにくく、機関士の窒息事故も多く起きて、のちに風を防ぐ幕が付けられました。石炭をくべる機関士の仕事は過酷でした。

1966年

新しい線へ切り替え

トンネルも古くなり、新しい線が造られました。1966年9月30日で狩勝線は廃止され、10月1日から水色の新線に切り替わりました。59年の歴史でした。

水色の新線は、峠の南を長いトンネルで抜けます。

1967年〜

実験線になった新得側

1967年からは、旧線の新内〜新得が「狩勝実験線」になりました。貨車の脱線事故を調べる実験や、電気機関車の走行試験、車両の火災実験が行われました。

データを送るための無線鉄塔が、今も残っています。

現在

町の文化財になった遺構

大築堤、新内トンネル、小笹川橋梁は、2003年に土木学会の選奨土木遺産に選ばれ、2009年には「旧狩勝線」として経済産業省の近代化産業遺産になりました。

2020年、新得町は橋やトンネル、大カーブなど11か所を「旧狩勝線鉄道遺構群」として町の文化財に指定しました。新内〜新得は「狩勝ぽっぽの道」として使われています。

2024年

新線の一部も、廃止に

2024年4月1日、根室線の富良野〜新得が廃止されました。新線のうち落合駅から上落合信号場までも、このときなくなりました。

上落合信号場から新得までは、新得町の資料で「現石勝線の一部」とされている区間です。

現在

峠を越えた鉄道の記憶

狩勝線の59年は、道央と道東を結ぶ幹線が、急な坂と闘い続けた歴史でした。

新得町は1983年、工事で亡くなった労働者を慰める「苦闘之碑」を旧線の近くに建てています。

狩勝線の年表

1896年5月北海道鉄道敷設法が公布される
1897年6月官設鉄道十勝線の工事が旭川から始まる
1901年4月落合〜新得の工事が始まる。7月から狩勝トンネルを掘る
1904年9月新内沢の大築堤ができる
1905年1月狩勝トンネルができる
1907年9月8日旭川〜帯広が開通。新得駅と新内信号所ができる
1909年新内信号所が駅になる。10月、旭川〜釧路を釧路線と呼ぶ
1927年狩勝峠が日本八景(平原の部)に選ばれる
1951年5月17日急行「まりも号」が新内駅の手前で脱線する(線路に細工した事件。犯人は分からなかった)
1966年9月30日狩勝線を廃止。10月1日に新線へ切り替える
1967年〜新内〜新得が狩勝実験線になる
1983年7月31日新得町が「苦闘之碑」を建てる
2003年狩勝峠鉄道施設群が土木学会の選奨土木遺産に
2009年「旧狩勝線」が経済産業省の近代化産業遺産に
2020年1月23日新得町が「旧狩勝線鉄道遺構群」を町の文化財に指定
2024年4月1日根室線の富良野〜新得を廃止

新得町、土木学会、JR北海道の資料によります。狩勝トンネルの長さは、新得町の文化財の案内では約954m、新内トンネルは同じ案内で約124.3m、土木学会北海道支部の資料で129mです。

よくある質問

狩勝線とは何ですか?

根室本線の落合〜新得(約28km)の旧線の通称です。狩勝峠を越えることから「狩勝線」と呼ばれました。1907年に開通し、1966年10月1日に新しい線へ切り替えられました。

なぜ新しい線に切り替えたのですか?

1000分の25の急な坂で、重い貨物列車は機関車を2両つなぐなど運ぶ効率が悪く、機関士の仕事も過酷でした。狩勝トンネルも古くなっていたため、新線が造られました。

旧線の跡は今も見られますか?

新得町の文化財「旧狩勝線鉄道遺構群」として、橋やトンネル、大築堤、大カーブが残っています。大カーブは狩勝峠から見えます。新内トンネルはヒカリゴケを守るため柵があり、中には入れません。

今の根室本線は狩勝峠を通っていますか?

根室線の富良野〜新得は2024年4月1日に廃止されました。1966年の新線のうち、上落合信号場から新得までは、新得町の資料で「現石勝線の一部」とされています。

訪ねるときは

狩勝峠の展望台からは、大カーブのあたりを見渡せます。新内トンネルは、ヒカリゴケを守るための柵があり、中には入れません。遺構の多くは山の中にあります。線路跡を歩くときは、新得町の案内を確かめてください。旧線の新得側の遺構は、町の文化財です。士幌線のタウシュベツ川橋梁も、十勝の鉄道の遺構です。

この地図について

今の地形と写真、1961〜69年の空中写真は、国土地理院のデータを開いたブラウザがその場で読み込んで描いています。起伏が見えるよう、高さは1.5倍に強調しています。

黄色い線(狩勝線)の多くは、OpenStreetMapの線路跡です。つながっていない所(落合駅の東、狩勝トンネルの東の口の先、大カーブの先から新内駅まで)は、当サイトが1961〜69年と1974〜78年の空中写真を見て引いた、おおよその位置です。白い線(狩勝トンネル)は、線路跡の両端を直線で結んだもので、長さは約0.92kmです。つなぐと約27kmで、新得町の資料の「約28km」とほぼ同じです。

水色の線(1966年からの新線)は、OpenStreetMapの根室本線(落合〜上落合信号場)と石勝線(上落合信号場〜新得)です。新内駅の位置は、1961〜69年の空中写真に写る駅の構内から読みました。高さは、国土地理院の標高データで測った地面の高さです。

空中写真の出典:地理院タイル(シームレス空中写真、空中写真1961〜69年、空中写真1974〜78年)。「電子国土基本図(オルソ画像)」、「東日本大震災後正射画像」、「森林(国有林・民有林)の空中写真(林野庁)」、「地方公共団体等の空中写真」、「簡易空中写真」、「国土画像情報」から作成されたものです。地理院タイル一覧。線路の線:© OpenStreetMap contributors

参考にした資料

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