3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1974〜78年)を加工して作成。線路の線 © OpenStreetMap contributors。高さは1.5倍に強調
廃線でわかる北海道
根北線はなぜ途中で終わった?
斜里は、オホーツク海と知床の山々にはさまれた町です。南の山を越えると、太平洋側の根室地方に出ます。
この山を越えて根室標津へ向かうはずだった鉄道が、根北線です。
スクロールすると、山を越える道ができたころからたどります
1885〜1925年
山を越える道
斜里町の年表によると、1885年に越川山道が開かれ、根室と斜里が結ばれました。1894年には、旅人が泊まり馬を乗り継ぐ官設の越川駅逓所ができています。
1925年には釧網線(今の釧網本線)が斜里まで開通し、1931年に釧路まで全線がつながりました。
1938年
根室へ向かう鉄道の工事
1938年、根北線の工事が斜里側から始まりました。土木学会の記事によると、オホーツク海側と太平洋側を短く結び、沿線の資源開発と開拓を進めるための鉄道でした。
文化庁は「北見地方と根室地方を結ぶ根北線」、斜里町は「斜里町と標津町を結ぶ」鉄道と紹介しています。
1940年
路盤ができ、レールも敷かれたが
1940年には斜里〜越川の路盤の工事が終わり、一部ではレールも敷かれました。黄色い線が、OpenStreetMapの根北線の線路跡です。
しかし、この年に工事は中止され、翌年にはレールも撤去されました。斜里町立知床博物館は第二次世界大戦の影響、土木学会の記事は日中戦争の影響としています。
1940年
越川橋梁
工事が止まった1940年、越川に、長さ147m、高さ21.7mの10連のコンクリートのアーチ橋ができました。正式な名前は第一幾品川橋梁で、コンクリートの鉄道橋としては北海道で最も大きなものです(文化庁)。
知床博物館は、戦時下の鉄筋を使わない造りと、タコ労働と呼ばれる過酷な労働で造られたことが殉難者の記録とともに伝えられていることを記しています。
1953〜57年
17年後の開業
戦後の1953年にもう一度測量が行われ、1957年11月10日、斜里〜越川が開業しました。工事が止まってから17年後のことです。
途中には以久科、下越川の駅があり、のちに仮乗降場が3つ設けられました。越川から先は開通しませんでした。
1957年
最初から赤字の見込み
知床博物館の研究報告によると、根北線には開業のときからレールバスが使われ、最初から赤字が見込まれていました。
標高データで測ると、斜里駅は約3m、越川橋梁のあたりは約140mです。
1970年代
1970年、廃止
1974〜78年の空中写真に切り替えました。廃止から数年後の姿です。
根北線は1968年に国鉄の諮問委員会が示した「廃止すべき赤字83線区」に入り、旅客も貨物も少ないまま、1970年11月30日に廃止されました。13年の短い鉄道でした。
1973年
国道のために、橋脚2本が消える
1973年、国道の改良工事のため、越川橋梁の橋脚2本が取り除かれました。
今も、国道のすぐそばに、途中で切れたアーチ橋が立っています。
未成線
峠の向こうへは、行かなかった
越川から先、根室標津までの区間は一部で工事が進み、越川橋梁などができていましたが、開通することはありませんでした(知床博物館)。
根北峠は標高約490mです。今は国道244号がこの峠を越えています。
現在
渡られなかった橋
越川橋梁は1998年に国の登録有形文化財になり、斜里町が持っています。斜里町は、橋を残すためにクラウドファンディングにも取り組みました。
列車が一度も渡らなかった橋が、山を越えようとした鉄道の記憶を伝えています。

