3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1974〜78年)を加工して作成。線路の線 © OpenStreetMap contributors。高さは1.5倍に強調
廃線でわかる北海道
湧網線はなぜなくなった?
オホーツク海に沿って、サロマ湖、能取湖が並んでいます。サロマ湖は、2つの湖口でオホーツク海とつながっています(湧別町)。
この湖のほとりを、中湧別から網走まで鉄道が走っていました。湧網線です。
スクロールすると、鉄道を待ち望んだころからたどります
路線の全体
中湧別から網走まで、89.8km
黄色い線が、湧網線の線路跡です。西の中湧別から、サロマ湖の南の岸を回って佐呂間、常呂を通り、能取湖のほとりを抜けて網走に至ります。
北見市の資料では、距離は89.8kmです。標高データで測ると、網走駅は約3m、計呂地駅跡は約5m、佐呂間のあたりは約30mです。
1919〜27年
待ち望まれた鉄道
佐呂間町の年表によると、1919年の地方鉄道法をきっかけに鉄道を求める声が高まり、1925年には帝国議会で「湧網線」の請願が採択されました。
1927年に鉄道省の測量が始まり、網走〜常呂〜中佐呂間〜計呂地〜中湧別の計画が確認されました。しかし世界的な不況で、工事は先へ延ばされました。
1935〜36年
両端から、少しずつ
1935年10月10日に網走〜常呂、10月20日に中湧別〜計呂地が開通しました。1936年10月17日には計呂地〜中佐呂間(今の佐呂間)まで延びました。
線は、西側と東側の2本に分かれたままでした。
1938〜52年
つながらなかった、中佐呂間〜常呂
残る中佐呂間〜常呂は1938年に着工し、土を盛る工事と橋脚までできました。しかし日中戦争が始まり、レールを敷く工事が止まりました(佐呂間町)。
戦後の1946年5月に工事の再開が決まりましたが、翌月、既存の鉄道の復興を優先する国の方針で、また中止されました。
1953年
18年ぶりに、つながる
1952年8月1日に工事が再開され、1953年10月22日、湧網線は全線開通しました。最初の開通から18年後のことです。このとき、中佐呂間駅は佐呂間駅に名前を変えました。
1955年にはレールバスが走り始め、1975年6月8日に蒸気機関車が最後の運行をしました。
1970年代
サロマ湖のほとりの線路
1974〜78年の空中写真に切り替えました。列車が走っていたころのサロマ湖の南の岸です。
湧別町は、湧網線を沿線の住民の通学や通勤、通院に欠かせない足であり、網走国定公園の中を走る観光路線として全国に親しまれた鉄道と紹介しています。芭露駅の利用者は、1966年に年9万4,659人でした。
1982〜86年
廃止の対象に
1982年11月22日、湧網線は国鉄の第2次廃止対象路線に選ばれました。
沿線の市町村は一体となって廃止に反対しましたが、1986年2月17日の特定地方交通線対策協議会で、バスへの転換が決まりました(佐呂間町、湧別町)。
1987年
最初の開通から51年
1987年3月19日、湧網線は廃止されました。翌20日から、網走〜中湧別に代わりのバスが走り始めました。
その代わりのバスも利用が減り、2010年9月30日に終わりました。網走〜常呂には別のバスが走っています(北見市)。
現在
駅の跡に残る記憶
計呂地駅の跡は1989年に計呂地交通公園になり、駅舎と蒸気機関車が残っています(湧別町)。佐呂間駅の跡は佐呂間町交通公園に、卯原内駅の跡は網走市鉄道記念館になりました。
湧別町では、線路跡の一部が木道や歩道として使われています。
現在
湖は、今も
列車はなくなりましたが、湖と海の景色はそのままです。
戦争で途切れ、18年かけてつながった鉄道は、全線で走った33年あまりのあいだ、湖のほとりの町と町を結んでいました。

