3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真)を加工して作成。高さは1.5倍に強調
地形でわかる北海道
大沼の島はなぜ多い?
北海道南部の大沼は、面積5.31km²、最大水深11.6mの湖です。大小百数十の小島が浮かび、「湖の松島」ともいわれます。
後ろにそびえるのが駒ヶ岳です。湖と島は、この山が崩れてできました。
スクロールすると、駒ヶ岳が富士山のような形だったころへさかのぼります
数万年前
富士山のような山だった
駒ヶ岳は、数万年前には富士山のような円錐形の火山で、高さは1,700mに達していたと考えられています。今の最高点、剣ヶ峯(1,131m)より600mほど高い山です。
その後、少なくとも3回の山体崩壊と、大量の軽石を噴き上げる噴火を9回起こしました。当時の形は再現できないので、今の地形に山を重ねた想像の姿です。
1640年7月31日
山頂が崩れ落ちる
1640年(寛永17年)7月31日、激しい山鳴りのあと、正午ごろに山頂の一部が崩れました。崩れた山は岩や土砂のなだれ(岩屑なだれ)となり、南と東へ流れ下りました。
このあと大量の軽石を噴き上げる噴火が8月2日まで続き、約70日後に静まりました。崩れていく途中の形はイメージです。
1640年
東へ流れた土砂が、津波を起こす
東へ流れた土砂は噴火湾になだれ込み、大津波が起きました。噴火湾の沿岸で700人以上が亡くなっています。津波の高さは、対岸の有珠で7.5mに達しました。
土砂は海岸に、出来澗崎という新しい岬をつくりました。駒ヶ岳で津波が起きたのは、過去1万年でこのときだけとされています。
1640年
南へ流れた土砂が、川をせき止める
南へ流れた土砂は、ふもとの低い土地を埋め、折戸川をせき止めました。こうしてできたのが大沼と小沼です。蓴菜沼も、駒ヶ岳の噴火で生まれた湖です。
大沼は、1640年にできた比較的新しい湖なのです。
島の正体
島は、崩れた山のかけら
大沼に浮かぶ島々は、崩れた山の土砂が積もってできた小山で、「流れ山」と呼ばれます。
流れ山は陸の上にもあり、初めて見た人が古墳と見間違えるような、こんもりとした小山です。大沼のまわりや、東の鹿部町の付近にもたくさん残っています。
1640年
軽石が、山を覆う
山が崩れたあとの噴火で降った軽石は、ふもとで厚さ1〜2mになりました。灰は松前や津軽地方にも降っています。軽石の量は約3.5km³と推定されています。
今も山頂付近に木がないのは、噴火で草木がなくなった様子を伝えるものだと、北海道博物館の資料は説明しています。
1856・1929年
その後も続いた大噴火
1856年(安政3年)の噴火では、南東のふもとの留の湯が火砕流に襲われ、約20人が亡くなりました。
1929年(昭和4年)の噴火では、鹿部町に軽石が1〜1.5m積もり、2人が亡くなりました。1640年からの大きな軽石の噴火は4回で、いずれも火砕流を伴っています。
現在
森町の側から見ると
何度も山頂が崩れたため、駒ヶ岳は見る方向で形が変わります。これは北西の森町の側から見た姿です。
山頂には、西の剣ヶ峯(1,131m)、北の砂原岳(1,113m)、南の隅田盛(892m)の3つの峰が残り、その間に直径約2kmのくぼ地(火口原)があります。
現在
鹿部の側から見ると
東の鹿部町の側から見ると、3つの峰に囲まれたくぼ地が、東に大きく開いているのがわかります。
3つの峰は、山が崩れたときに残った、もとの山の一部です。
現在
浅い湖と、ブナの森
大沼は水深が浅く、冬は全面が凍ります。まわりの森は、北海道のラムサール条約湿地で唯一、ブナが自生する森です。
1905年に道立公園、1915年に新日本三景に選ばれ、1958年に国定公園に指定されました。2012年にはラムサール条約の登録湿地になっています。
現在
洞爺湖とは違う、湖のでき方
洞爺湖や支笏湖は、噴火でできた大きなくぼ地に水がたまったカルデラ湖です。最大水深は、洞爺湖が179.7m、支笏湖が360.1mあります。
大沼は、崩れた山の土砂が川をせき止めてできた、最大水深11.6mの浅い湖です。百数十の島は、駒ヶ岳が崩れたときのかけらです。

