北海道暮らしの読みもの

3D地形を読み込んでいます

地理院タイル(標高タイル(10mメッシュ)、シームレス空中写真、空中写真1974〜78年)を加工して作成。高さは1.5倍に強調

地形でわかる北海道

大夕張の町はなぜ湖の底にある?

夕張市の東の山あいに、枝分かれした細長い湖がのびています。2015年度に運用を始めた夕張シューパロダムの湖、シューパロ湖です。

湖の北の谷には、炭鉱の町だった大夕張の鹿島地区がありました。その町並みの一部は、今は湖の底です。なぜ町は湖の底にあるのか。谷の地層からたどっていきます。

スクロールすると、谷の地層の石炭から、炭鉱の町、旧大夕張ダム、閉山、大洪水、新しいダムで水位が上がり町並みが沈むまでをたどります

古第三紀

谷の地層にはさまる石炭

このあたりの石炭は、古第三紀の石狩層群のうち、「夕張夾炭層」と呼ばれる地層にはさまっています。大夕張のあたりの石狩層群は、折れ曲がったり、断層で切られたりしながら分布しています。

大夕張の炭鉱では、厚さ4.5mほどの炭層などが掘られていました。1954年の地質図の説明書は、炭質がよい粘結性の瀝青炭で、原料炭として重要だと書いています。原料炭は、製鉄に使うコークスの原料になる石炭です。

1907年〜

谷の奥に開かれた炭鉱

大夕張炭鉱は1906年11月に坑口を開く工事が始まり、翌1907年8月に石炭を出し始めました。1916年には三菱が買収し、三菱の大夕張炭鉱になります。

1954年の説明書には、大夕張へは国鉄の清水沢駅から三菱の鉄道で約1時間かかり、トラックが通れる道路もないと書かれています。谷の奥の炭鉱の町は、鉄道でつながっていました。

1960年

2万5千人が暮らした谷

1974〜78年の空中写真に切り替えました。北の谷の段丘の上に、炭鉱住宅の長い列が並び、川沿いの低いところにも町並みが広がっています。

1960年3月末、鹿島地区には2万5,516人が住んでいました。このとき夕張市全体の人口は11万6,775人で、その2割あまりがこの谷にいたことになります。

1957〜61年

谷をせき止めた大夕張ダム

1961年度、谷の下流に大夕張ダムができました。高さ67.5mの、かんがいと発電のための重力式コンクリートダムです。写真の細長い湖が、そのダム湖です。

ダム湖の東の入り江には、森林鉄道夕張岳線の三弦橋がかかっていました。1957年にできた長さ381.8mの鉄橋で、三角形に組んだトラスが7つ連なっています。夕張岳線は1964年に廃線になりました。

1973年

閉山と、去っていく人

1973年、大夕張炭鉱が閉山しました。その少し前の1970年には、下流の南大夕張で、新しい炭鉱が石炭を出し始めていました。

鹿島地区の人口は、1973年3月末の1万647人から、1年後には4,242人に減りました。南大夕張の炭鉱も、1990年に閉山します。

1981年

大洪水と、新しいダムの計画

1980年、農林水産省は、農業用水を増やすため、大夕張ダムを13.3mかさ上げする計画を立てました。

翌1981年8月、台風12号で石狩川流域は観測史上最大規模の洪水に見舞われます。北海道開発局は夕張川に治水のためのダムをつくる計画を立て、札幌などの水需要にも応える多目的ダムとして、1995年度に工事を始めました。

1997〜98年

湖に沈む289戸

1997年3月、新しいダムは水源地域対策特別措置法の指定ダムになりました。国の資料では、湖に沈む土地は1,510ha、沈む家は289戸とされています。

鹿島地区の人口は、1997年3月末の397人から、1998年3月末には40人になりました。2001年3月末からは、住む人はいません。

2014年〜

水位が約32m上がる

2014年3月、新しい夕張シューパロダムに水をため始めました。ダムは旧大夕張ダムの155m下流につくられ、ふだんの最高水位は標高297m。旧ダムの湖の満水位264.5mより、約32m高くなります。

1974〜78年の写真に、今の水位を重ねました。旧大夕張ダムは、新しい湖の水面の下になりました。三弦橋のかかっていた入り江も、湖の中です。

2014年〜

沈んだ町並み、残った段丘

同じ写真で、鹿島の谷です。標高データで見ると、川沿いの低いところにあった町並みは、標高297mより低く、水の下になりました。

段丘の上の住宅地のあたりは297mより高く、湖の外です。町並みのすべてが沈んだのではなく、谷底の部分が湖になりました。

2016年

湖のほとりの段丘

2016年の写真に戻しました。谷は湖になり、段丘の上には建物のない平らな土地が残っています。

湖の面積は15.0km²で、旧ダムの湖の3.2倍。ためられる水は4億2,700万m³で、旧ダムの4.9倍になりました。

2015年〜

夕張シューパロダム

夕張シューパロダムは、高さ110.6m、堤頂の長さ390mの重力式コンクリートダムです。洪水を防ぐこと、川の流れを保つこと、かんがい、水道、発電の役目をもっています。

ダムの堤体は、水をためる前の標高データには入っていないため、資料の数字をもとに描いた模型です。

現在

石炭が町を呼び、湖が町を沈めた

谷の地層にはさまる石炭が、山奥に2万5千人の町を呼び込みました。閉山で人が去り、1981年の大洪水と水需要の増加から、谷にはもっと大きなダムが計画されました。

大夕張の町並みが湖の底にあるのは、炭鉱の町が谷底にあり、その谷が大きなダム湖になったからです。

大夕張とシューパロ湖の主な数字

大夕張炭鉱1907年に出炭開始、1916年に三菱が買収、1973年に閉山
鹿島地区の人口(各年3月末)1960年 2万5,516人、1974年 4,242人、1998年 40人、2001年から0人
旧大夕張ダム1961年度完成、高さ67.5m、満水位264.5m
三弦橋(夕張岳線第1号橋梁)1957年完成、長さ381.8m
夕張シューパロダム高さ110.6m、堤頂の長さ390m、2014年3月に湛水開始、2015年度から運用
湖に沈む土地と家1,510ha、289戸(水源地域対策特別措置法の指定ダム、1997年)
湖の大きさ常時満水位297m、面積15.0km²、総貯水容量4億2,700万m³

ダムの数字と経緯は北海道開発局、鹿島地区の人口は夕張市、沈む土地と家は国土交通省の資料によります。炭鉱の始まりは北海道立文書館、三菱の買収と1973年の閉山は藤井(1981)、南大夕張炭鉱の閉山は夕張市の統計をもとにした小川・下村の論文、石炭の地層は1954年の地質図の説明書によります。旧大夕張ダムの完成は、北海道開発局の資料に合わせて年度で書いています(1962年とする資料もあります)。

よくある質問

大夕張の町はなぜ湖の底にあるのですか?

炭鉱の町だった鹿島地区の町並みが谷底にあり、その谷に新しい夕張シューパロダムがつくられたためです。2014年に水をため始めると、水位は旧大夕張ダムの湖より約32m高い標高297mまで上がり、川沿いの低いところにあった町並みが水の下になりました。

大夕張の町は全部沈んだのですか?

標高データで見ると、川沿いの低いところの町並みは沈みましたが、段丘の上の住宅地のあたりは標高297mより高く、湖の外にあります。

鹿島地区には何人が住んでいましたか?

夕張市の統計では、1960年3月末に2万5,516人でした。1973年の大夕張炭鉱の閉山後に大きく減り、1998年3月末には40人、2001年3月末からは0人です。

夕張シューパロダムはどんなダムですか?

高さ110.6m、堤頂の長さ390mの重力式コンクリートダムで、旧大夕張ダムの155m下流につくられました。2014年3月に水をため始め、2015年度に運用を始めました。湖の面積は15.0km²です。

シューパロ湖へ行くなら

湖のまわりの道は山の中を通り、冬は通れない区間もあります。湖の水位が下がった時期に湖底へ下りるのは危険です。決められた催しなどのほかは、湖岸に近づかないでください。

この3D地形について

今の地形と写真、1974〜78年の空中写真は、国土地理院のデータを開いたブラウザがその場で読み込んで描いています。起伏が見えるよう、高さは1.5倍に強調しています。

地形の標高データ(10mメッシュ)は、新しいダムに水をためる前の谷の形のままです。旧大夕張ダムの湖は、湖面の高さで平らになっています。そこに水面を描き、旧ダムの湖の水位から今の水位(標高297m)まで上げています。どこまで沈んだかは、この標高データで297mより低い範囲から見たもので、実際の湖岸とは少しずれることがあります。

夕張シューパロダムの堤体は、国土地理院のデータではありません。高さ(110.6m、基礎の標高196.0m)は北海道開発局の資料に合わせ、堤頂の位置は空中写真から読み取りましたが、厚さはおおよそで描いた模型です。

空中写真の出典:地理院タイル(シームレス空中写真、空中写真1974〜78年)。シームレス空中写真は「電子国土基本図(オルソ画像)」、「簡易空中写真」などから作成されたもので、このあたりは2016年6〜7月の撮影です。地理院タイル一覧

参考にした資料

北海道暮らしの読みもの