3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年、治水地形分類図)を加工して作成。高さは3倍に強調
地形でわかる北海道
札幌の地形はどうできた?
札幌の中心部は、平らな街に見えます。
けれども、南西の山地から丘陵地、扇状地、平地へと、土地はひと続きに下っています。豊平川がつくった扇状地の上に、札幌の街は発達しました。
スクロールすると、街の下の地形が見えてきます
現在
標高30mより低い土地を塗ると
青い範囲は、今の標高が30mより低い土地です。中島公園のあたりが、ちょうど境目です。
海を表したものではありません。標高データを色分けして、土地の傾きを見やすくしています。
現在
17mまで下げると、札幌駅が境目に
中島公園は約30m、大通は約22m、札幌駅は約17m、麻生は約7mです。
中心部の数kmで、10m以上下っていることになります。ページの下に表があります。
現在
地図に残る、扇のかたち
これは国土地理院の治水地形分類図です。黄色の点が扇状地、濃い橙色が段丘面です。この地図は作られた範囲が限られていて、空白の部分もあります。
明治初期の地形図からは、真駒内付近を要にして広がる、幾筋もの豊平川の旧河道が読み取れるといいます。
最終氷期〜後氷期
川が、谷の出口で向きを変える
豊平川扇状地は、最終氷期から後氷期にできたとされています。
かつての豊平川は、大雨のたびに山の水と土砂を集め、狭い谷から平地に出たところで解き放ちました。光る線は川筋のイメージで、実際の旧河道の位置ではありません。
最終氷期〜後氷期
洪水のたびに動いて、扇ができる
大洪水のたびに、少しずつ、ときには大きく川筋が移動しました。こうして、扇のように広がる土地ができたと説明されています。
扇状地を流れる川は、網のようにいくつもの流れに分かれるのが特徴です。
かつて
川の水が潜り、札幌駅の近くで湧く
扇状地は大きな岩や砂利でできていて、水がしみ込みやすい土地です。豊平川の水の一部は地面に潜り、扇の末端にあたる札幌駅の近くなどで湧き水になりました。
この湧き水を「メム」といいます。線は流れのイメージで、地下水の実際の道すじではありません。
開拓期〜現在
街をつくった水と、消えた湧き水
開拓使のまちづくりは、この水を生かして進められました。伏流水やメムは、工場の用水や庭園の池に使われました。
開発が進むと水は枯れ、今は自然の湧き水は見られません。北海道大学の構内や植物園などに、わずかなくぼ地として名残があります。扇の末端は、札幌競馬場から北大、北15条東15丁目にかけて、北へ張り出しています。
現在
扇は、北へ深く潜っている
扇状地が地面から消える北側でも、砂利の層は地下に続いています。
その上面までの深さは、北20条付近で約16m、北42条付近で約20m、西茨戸付近で約35m。北へ行くほど、扇は深く埋もれています。
5,000〜4,000年前〜
北の低地に積もった、泥炭
青い範囲は標高15mより低い土地です。札幌の泥炭は、この標高の低地に分布しています。古石狩湾が砂州でふさがれて沼地になり、5,000〜4,000年前から積もり始めたとされます。
札幌北部低地は南北約15km、東西約20km。泥炭の厚さは3m以下が多く、厚別地区では8〜10mに達する場所もあります。塗った範囲と泥炭の分布は同じではありません。
1961〜69年
約60年前の札幌
1961〜69年に撮影された実際の空中写真です。市街地の北には、まだ農地が広がっています。
写真に見える濃淡の境目は、複数の写真をつないだ跡とみられます。今の写真と比べると、北の低地に市街地が広がったことがわかります。
現在
そして、今の札幌へ
南の扇状地と、北の低地。その境目に札幌駅があります。
北の低地は、そのまま石狩川の流域へ続いています。

