3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル(5mメッシュ・10mメッシュ)、シームレス空中写真、空中写真1974〜78年)を加工して作成。高さは1.5倍に強調
地形でわかる北海道
登別地獄谷はなぜ湯気が噴き出す?
登別温泉の奥に、白い岩肌から湯気を上げる地獄谷があります。右奥に見える丸い湖は、倶多楽湖です。
地獄谷からは、なぜ湯気が噴き出すのでしょうか。答えは、地下で起きている「分かれ道」にあります。まず、この一帯をつくった火山からたどります。
スクロールすると、倶多楽火山のカルデラと爆裂火口から、地下で蒸気と熱水に分かれる温泉のしくみまでたどります
約8万〜4万年前
丸いカルデラ、倶多楽湖
このあたりの火山は、倶多楽火山と呼ばれます。約8万年前から4万5千年前にかけて、火砕流を伴う大きな噴火を繰り返し、約4万年前までに直径3kmの円いカルデラができました(気象庁)。そこに水がたまったのが倶多楽湖です。
倶多楽湖は、1991年の環境庁の調査で透明度22.0mと、摩周湖に次ぐ全国2位でした。
約1万5千年前
西のふもとに、新しい火山
カルデラができたあと、その西のふもとで新しい火山活動が始まりました。登別火山です。
約1万5千年前には、デイサイトという種類の溶岩が盛り上がって、日和山の溶岩ドームができました(気象庁)。日和山は、今も山頂から白い噴気を上げています。
約8000年前〜
水蒸気噴火でできた、地獄谷と大湯沼
約8000年前からは、地下の熱で水が一気に蒸気になって吹き飛ぶ「水蒸気噴火」が繰り返され、地面に穴があいて、大湯沼と地獄谷ができました。どちらも爆裂火口です(気象庁)。
地獄谷は直径約450mで、登別温泉で最大の源泉の場所です。大湯沼は周囲約1kmの沼で、深さは約22m(林野庁)、環境庁の調査では最大28mとされています。
約200年前
いちばん新しい噴火
いちばん新しい噴火は約200年前で、日和山から大湯沼、裏地獄へと一列に並ぶ火口で起きた、小規模な水蒸気噴火でした。そのときの火山灰が、1663年の有珠山の噴火の火山灰の上に重なっていることから、年代がわかっています(気象庁)。
記録に残る噴火はありません。倶多楽の噴火警戒レベルは1(活火山であることに留意)です(2026年11月時点)。
現在
地下深くの、200℃の熱水
登別の噴気と温泉を調べた室住(1961年、地質調査所)によると、地下深くのマグマのほうから、約200℃、30気圧の熱い水が上がってきています。
同じ論文は、登別の熱水活動を日本でいちばん大きいものとしています。1日に湧き出す水は日本の温泉全体の約20分の1、放出される熱は約10分の1にあたります。
現在
上がる途中で、蒸気と熱水に分かれる
熱い水が上がってくると、まわりの圧力が下がり、水は沸騰しはじめます。地下の大きなすき間で一気に沸騰すると、蒸気と、約100℃まで冷えた熱水に分かれます(室住、1961年)。
ここが、地下の「分かれ道」です。
現在
蒸気は上へ、地獄谷の湯気に
分かれた蒸気は、割れ目を通って上へ押し上げられ、地獄谷のたくさんの噴気孔から噴き出します。地獄谷の湯気は、この蒸気です(室住、1961年)。
蒸気には、硫化水素などのガスも一緒に入っています。このガスが地獄谷の底で空気にふれると硫酸になり、地獄谷の湯は、塩分をほとんど含まない強い酸性(pH1.2〜1.4)になります。
現在
熱水は下から、温泉街の温泉に
蒸気が抜けたあとの熱水は、下のほうの細い割れ目を通って、毎秒約30リットル湧き出します。これが温泉街の温泉です(室住、1961年)。
ナトリウムやカルシウム、塩素など水に溶けやすい成分は熱水のほうに残るので、温泉街の湯は塩分を含む中性の湯になります。
現在
だから、泉質がいくつもある
蒸気の側の湯と、熱水の側の湯が混ざる所では、弱い酸性(pH2.3〜2.9)の湯になります。同じ地下の熱水が蒸気と熱水に分かれ、それぞれ別の場所で湧くので、登別では性質のちがう湯がいくつも湧きます。
今の登別温泉は、源泉の温度が45〜90℃、1日に約1万トンが自然に湧き出し、泉質は9種類もあって「温泉のデパート」と呼ばれています(林野庁)。
2007年〜
今も動く地獄
大湯沼の近くの大正地獄では、2007年5月3日に高さ3〜5mの熱湯が噴き上がり、展望台の入り口が立ち入り禁止になりました。噴き上げは2011年ごろまで続き、2016年11月5日にも小さな噴き上げがありました。
気象台は、これらは局所的なもので、火山活動の活発化に直接つながるものではないとしています。火口のまわりでは、今もところどころで熱水や噴気、火山ガスが噴き出しています(気象庁)。
1858年〜
湯気の谷のそばの温泉街
1974〜78年の空中写真に切り替えました。
登別温泉は、古くからアイヌの人々が薬湯として使っていたと言われ、1845年には松浦武四郎が訪れています(林野庁)。1858年に滝本金蔵が湯守となって温泉宿を建て、1905年には日露戦争の傷病兵の保養地に指定されて、名湯として広まりました(登別市)。2010年度には年間約304万人が訪れています(気象庁)。
現在
分かれ道が生む、湯気と温泉
登別地獄谷から湯気が噴き出すのは、倶多楽火山の地下から上がる200℃の熱水が、途中で蒸気と熱水に分かれ、その蒸気が水蒸気噴火でできた火口から抜け出してくるからです。
分かれた熱水は温泉街で湧き、蒸気の側と熱水の側、その混ざり方のちがいが、9種類もの泉質を生んでいます。

