3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年)を加工して作成。川の線 © OpenStreetMap contributors。高さは1.5倍に強調
地形でわかる北海道
大正泥流はなぜ25kmも届いた?
富良野と美瑛の東にそびえる十勝岳(2,077m)。1926年5月24日、この山から流れ下った泥流が、25km離れたふもとの村を襲いました。「大正泥流」です。
死者・行方不明者は144人。2026年5月24日で、ちょうど100年になりました。
スクロールすると、1926年5月24日の噴火からたどります
現在
山頂の北西に並ぶ火口
十勝岳の主な火口は、山頂の北西の斜面に並んでいます。
大正火口は1926年の噴火で中央火口丘「丸山」の北西側が崩れてできた火口、62-2火口は1962年の噴火でできた火口です。どちらも今も噴気を上げています。
1926年5月24日 正午すぎ
1回目の噴火
12時11分ごろ、1回目の噴火が起きました。小さな泥流が、火口の北西のふもとにあった畠山温泉(今の白金温泉)を襲っています。
大きな被害が出たのは、このおよそ4時間後の2回目の噴火でした。
16時18分ごろ
山が崩れ、雪をとかす
2回目の大きな噴火で、中央火口丘の北西部が崩れました。高温の岩屑なだれが斜面に残っていた雪を一気にとかし、大きな泥流になりました。
火口から2.4km離れた硫黄鉱山の事務所には、1分もかからずに届いています。噴煙はイメージです。
16時18分〜
25kmを、25分で
泥流は美瑛川と富良野川に分かれて谷を流れ下り、25〜26分で、火口から25km離れた上富良野の原野に着きました。平均の速さは時速約60kmです。
茶色の線は、泥流が流れた谷の道筋です。泥流が広がった範囲そのものではありません。
富良野川
上富良野の低い土地にあふれる
富良野川に入った泥流は、谷を満たして流れ、上富良野の低い土地にあふれました。
上富良野では、230棟の家が流されています。
美瑛川
美瑛の市街の手前で止まる
美瑛川に入った泥流は、美瑛の市街の近くで止まりました。
泥流が通った跡は合わせて約29kmに及び、積もった泥は約300万m³とされています。
1926年
田が、泥に埋まる
死者・行方不明者は144人、建物の被害は372棟にのぼりました。
1961〜69年の空中写真に切り替えました。上富良野の市街から上流は、泥が45〜150cmも積もった所です。
1926〜34年ごろ
「離れるのは忍びない」
上富良野村の吉田貞次郎村長は、「30年住みなれた墳墓の地を離散せしむるのは何としても忍びない」と語り、復興を決めました。村の中では、復興するかどうかで意見がぶつかっています。
泥の厚い田には、近くの山の土を軽便軌道で運んで厚さ約9cmに敷き(客土)、浅い田は泥を取り除きました。1928年には耕作が始まり、田が元に戻るまでに8年かかったとされます。
谷と高台
谷を流れるから、高い所へ
泥流は、地形に沿って谷を流れ下ります。3Dで見ると、川の谷が火口から町までつながっているのがわかります。
気象庁の資料は、前もって高い所へ避難すれば、被害を免れることができると説明しています。
1962〜89年
その後の噴火と、備え
1962年の噴火では、噴石で硫黄鉱山の職員5人が亡くなりました。1988〜89年の噴火の前には、上富良野町と美瑛町が避難の地図を全戸に配り、人の被害はありませんでした。
美瑛川と富良野川には、大正泥流と同じ規模の泥流を想定した砂防えん堤が造られています。白金温泉には、泥流の向きを変える導流堤があります。
現在
今も活発な火山
十勝岳では、過去3,500年に火山泥流が少なくとも11回起きています。
2026年6月18日に噴火警戒レベル2(火口周辺規制)が発表され、7月と8月にもごく小規模な噴火が起きました。9月12日にはレベル3(入山規制)に引き上げられ、10月16日にレベル2に戻っています。最新の状況は、気象庁の情報で確かめてください。
現在
100年後の、ふもとの町
上富良野町開拓記念館は、吉田村長の住宅を解体復元した建物で、十勝岳噴火の資料を展示しています。
上富良野町の草分地区には、泥流の記念碑と、三浦綾子『泥流地帯』の文学碑があります。

