北海道暮らしの読みもの

3D地形を読み込んでいます

地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年)を加工して作成。高さは2.5倍に強調

地形でわかる北海道

美瑛の丘はどうできた?

美瑛町の地勢は、おおむね波状の丘陵です。その斜面に畑が広がり、奥には十勝岳連峰がそびえています。

この丘は、いつ、どうやってできたのでしょうか。答えは、畑ではなく火山にあります。

スクロールすると、約200万年前へさかのぼります

現在

上から見ると、丘の先に山

丘は、十勝岳連峰のふもとに広がっています。

けれども、順番は「山が先」ではありません。丘の土台のほうが、十勝岳連峰より古いのです。

約200〜100万年前

巨大な噴火が、一帯を覆う

まだ十勝岳連峰が生まれる前、この地で巨大な噴火が起こりました。大量の軽石や火山灰が高温の火砕流となって流れ、美瑛から富良野までを厚く覆ったとされています。

噴火は何度か繰り返したと考えられています。噴煙の位置はイメージです。

噴火のあと

広い火砕流の台地ができる

火砕流の跡には、広い台地が残りました。この場面の平らな地面は、今の地形をならして作ったイメージです。

噴火で地面は広く落ち込み、カルデラができたと考えられていますが、今は十勝岳や大雪山の下に埋もれて見えません。

長い時間

台地に谷が刻まれ、丘になる

長い時間のうちに台地には多くの小沢や谷が刻まれ、なだらかな丘の連なりになりました。

谷がどの順番で、なぜこの向きに刻まれたのかまでは、確認できた資料では説明されていません。変化の様子はイメージです。

台地の形成後

台地の上に、十勝岳連峰ができる

その後、この台地の上で火山の活動が続き、今の十勝岳連峰ができました。

つまり、できた順番は「台地が先、山があと」です。丘の土台は、十勝岳の噴火でできたものではありません。山が育つ様子はイメージです。

現在

平らに見えて、実は起伏だらけ

これは標高データだけで描いた地形です。色は実際の景色ではありません。同じ向きに走る谷がよくわかります。

1964年の地質図の説明書は、台地の表面を、多数の小沢や谷と、10〜20度ほどの緩い斜面からなると記しています。

1964年の報告

畑にするには、厳しい土地だった

同じ説明書によると、土は発達が悪く、20〜30cmほどの深さに基盤の岩が現れる場所もありました。雨のたびに土が流れ、土地がやせていったといいます。

そこで当時は、よそから土を運んで入れる「客土」が行われていました。

1961〜69年

約60年前の丘

1961〜69年に撮影された実際の空中写真です。この場所も、すでに畑の広がる丘でした。

農林水産省によると、今の丘陵の畑作地帯は、昭和40年代後半から始まった農地造成や傾斜改良などで作り出されたものです。

現在

同じ場所の、今の丘

同じ視点の今の写真です。前の写真とは撮った季節も違います。色や見え方の違いには季節の差も混ざるので、工事で変わった部分だけを写真から見分けることはできません。

整えられた斜面の畑が、今の景色の土台になっています。

現在

パッチワークは、土地を守る色

美瑛では、地力を高め、病気のリスクを減らすために、小麦、てん菜、豆類、馬鈴薯などを順に育てる輪作が目指されています。

同じ畑でも毎年違う作物が育つので、色も様々になります。これが「パッチワーク」と呼ばれる景色です。つまり模様は、年によって変わります。

現在

そして、今の美瑛へ

丘を作ったのは、火山です。その丘を畑にしたのは、薄い土と斜面に向き合ってきた人です。

今も傾斜地は農作業の効率化を難しくしています。美しい景色は、その営みの上にあります。

美瑛の丘の成り立ち

約200〜100万年前巨大噴火が繰り返され、火砕流が美瑛から富良野までを覆う
その後広い火砕流台地に谷が刻まれる。台地の上に十勝岳連峰ができる
1964年の報告土が薄く、雨で流れる。客土が行われている
昭和40年代後半〜農地造成、傾斜改良などで今の畑作地帯が作られる
今輪作で毎年違う作物が育ち、パッチワークの景色になる

年代は北海道開発局の資料によります。専門の報告書では、美瑛火砕流に約210万年前、約191万年前の値のほか、約70〜80万年前の報告もあり、少なくとも2層あることが示唆されています。「谷が刻まれる」順番は、資料の記述をもとに整理したものです。

美瑛町の農地

耕地面積12,600ha(田2,200ha、普通畑10,400ha)
町の面積に占める割合約2割
作付面積の順(令和7年)小麦(約3,263ha)、飼料用作物、てん菜、水稲、馬鈴薯、大豆
1戸あたりの経営耕地平均32.2ha

美瑛町「美瑛の農業2026」によります。

よくある質問

美瑛の丘はなぜできたのですか?

約100〜200万年前の巨大噴火で、火砕流が美瑛から富良野までを厚く覆い、その跡に広くなだらかな丘が残りました。台地には多くの小沢や谷があり、起伏のある地形になっています。

美瑛の丘はなぜ波打っているのですか?

土台の台地に多数の小沢や谷と緩い斜面が並んでいるためです。谷がなぜこの向きに並ぶのかまでは、確認できた資料では説明されていません。

美瑛のパッチワークはなぜできるのですか?

小麦、てん菜、豆類、馬鈴薯などを順に育てる輪作で、同じ畑でも毎年違う作物が育ち、色が様々になるからです。

パッチワークの模様は毎年同じですか?

同じではありません。美瑛町の資料は、同じ畑でも毎年異なった作物が育てられると説明しています。

美瑛の丘と十勝岳はどちらが古いのですか?

丘の土台の火砕流台地のほうが古く、今の十勝岳連峰はこの台地の上にできました。

美瑛へ行くなら

丘の多くは農家の方の畑です。畑に入らず、道路や展望の場所から眺めてください。

十勝岳の標高や所在地は、北海道の山カタログでも見られます:十勝岳(2077m)

この3D地形について

今の地形、空中写真、1961〜69年の空中写真は、国土地理院のデータを開いたブラウザがその場で読み込んで描いています。起伏が見えるよう、高さは2.5倍に強調しています。一方、噴煙、平らな台地、十勝岳連峰がない姿、谷が現れる様子はイメージで、当時を正確に再現したものではありません。噴火の場所も特定して描いたものではありません。画面の右上に、どの種類の表示かを出しています。

空中写真の出典:地理院タイル(シームレス空中写真)。「電子国土基本図(オルソ画像)」、「東日本大震災後正射画像」、「森林(国有林・民有林)の空中写真(林野庁)」、「地方公共団体等の空中写真」、「簡易空中写真」、「国土画像情報」から作成されたものです。地理院タイル一覧

参考にした資料

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