北海道暮らしの読みもの

3D地形を読み込んでいます

地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年、空中写真1974〜78年)を加工して作成。高さは3倍に強調

地形でわかる北海道

根釧台地の森はなぜ格子模様?

北海道の東、中標津町と別海町に広がる根釧台地を、上から見ています。牧草地のあいだを、濃い緑の森の帯が碁盤の目のように走っています。

この森は、根釧台地の格子状防風林です。幅180mの林が、合わせて648kmも続いています。なぜ、森が格子の形をしているのでしょうか。

スクロールすると、明治の区画と季節で変わる風から、昭和30年代の植林、浮かび上がる格子、酪農の大地までたどります

現在

平らで、冷たい霧の台地

根釧台地は、なだらかに広がる台地です。別海のパイロットファームの地区は標高30〜40mのゆるい波のような台地で、土は摩周湖のほうから来た火山性の砂まじりの土、一部は泥炭でした(別海町)。

1955年のパイロットファームの計画は、北海道の開拓地には火山灰地などのやせた土地が多く、気候も「濃霧寒冷不順」の所が多いとして、家畜を中心にした農業を進めることにしていました(別海町)。

1896年〜

原野を碁盤の目に区切る

明治29年(1896年)の「植民地選定及び区画施設規程」で、入植地を碁盤の目に区切り、その区画線の上の天然林を残して(一部は植えて)防風林にすることが決められました(林野庁)。

原野ごとに、まず軸になる「基線」の道路を引き、それと直角に交わる道路で区画をつくります。農家1戸の土地は、間口100間、奥行き150間(約180m×270m)でした。格子の向きは、この原野ごとの基線で決まっています。中標津の原野は1901年に区画が開放されました。

1896年〜

季節で90度変わる風

防風林は、1,200間(約2,200m)ごとに、幅50〜100間(90〜180m)でつくることとされました。

このあたりでは、11月から3月はシベリアからの冷たい北西風が吹き、夏は南寄りの風と北東の風が吹きます。季節によって風向きが90度以上も変わることを考えて、防風林による対策が明治期に考えられたと、中標津町の資料は書いています。縦と横の林が組み合わさった格子は、どちらの向きの風にも働きます。

1961〜69年

まだ、まだらな格子

1961〜69年の空中写真に切り替えました。

防風林の土地は国有地として確保されていましたが、長いあいだ、まばらな広葉樹や木のない土地のままの所も多く、防風林としての働きは一定ではありませんでした(中標津町)。写真でも、格子はまだはっきりしません。

1955年〜

パイロットファームと、一斉の植林

1955年、世界銀行の融資による「根釧パイロットファーム」の建設が決まり、1956年に入植が始まりました。別海の床丹(今の豊原・美原)の11,226haを重機で開墾し、防風林もつくられました(別海町)。

このころから格子状防風林の造成が進み、成長の早いカラマツが信州から持ち込まれて、一斉に植えられました(中標津町)。

1974〜78年

浮かび上がる格子

1974〜78年の空中写真です。

農地が広がって一つにまとまり、植えた林が育つにつれて、格子状防風林の輪郭が浮かび上がりました(中標津町)。

1973〜83年

酪農の大地へ

1973年から1983年にかけて、国の「新酪農村建設事業」で、大きな牛舎やサイロをそなえた大規模な酪農の農家がつくられました。総額は935億円でした(別海町)。

パイロットファームでは離農する人も多く出ましたが、土地を広げながら酪農が根づき、別海町は牛が約10万頭、生乳の生産量が日本一の町になりました。

現在

648kmの森

今の写真に戻しました。根釧台地の格子状防風林は、面積約1万5千ha、幅180m、総延長648kmです。2001年に北海道遺産に選ばれました(林野庁)。

今の防風林は、カラマツ、トドマツ、アカエゾマツなどの針葉樹が中心です。かつては道内各地で見られた同じ幅の防風林が、今も大きな規模で残るのはここだけだと、中標津町の資料は書いています。

現在

約2.2kmおき、幅180m

地理院の写真で林の帯を測ると、一方の向きの帯は多くの所で約2.2kmおきに並び、幅は約180mでした。明治の規程の1,200間(約2,200m)、100間(約180m)とよく合います。

もう一方の向きの帯は、間隔がそろっていません。実際の配置は、地形や風向きによって違うとされています(中標津町)。

現在

風下へ、樹高の20倍

防風林が風を弱める範囲は、風上側で樹の高さの約5倍、風下側で約20倍とされています(林野庁)。樹の高さが20mなら、風下400mほどまで風が弱まる計算です。

防風林は、作物や土、種が風で飛ばされるのを防ぎ、冬は地吹雪から道や暮らしを守っています。

1963年〜

開陽台から見る格子

中標津町の開陽台(標高270m)には、1963年に展望台がつくられました。台地を見下ろすと、牧草地のあいだに格子状防風林が浮かび上がって見えます(中標津町)。

現在

風に備えて区切った大地

根釧台地の森が格子模様なのは、明治に原野を碁盤の目に区切ったとき、季節で向きを変える風に備えて、区画の線に沿って幅の広い防風林を残し、植えたからです。

昭和30年代の一斉の植林と、酪農のための開墾で農地が広がったことで、格子は今のようにくっきりと浮かび上がりました。

格子状防風林の主な数字

面積約1万5千ha
林の幅180m
総延長648km
規程の間隔1,200間(約2,200m)ごと(明治29年の規程)
北海道遺産2001年選定
主な樹種カラマツ、トドマツ、アカエゾマツ

面積、幅、総延長、規程の間隔と幅、北海道遺産は林野庁、植林の経過と風向きは中標津町、パイロットファームと新酪農村は別海町の資料によります。規程の名前は林野庁の資料の表記に合わせました。中標津町の資料は、防風林の間隔をはじめ1,800間(約3,300m)ごと、のちに1,200間ごととし、格子状防風林は開拓期にアメリカ人顧問のホーレス・ケプロンが提唱したと書いています。

よくある質問

根釧台地の防風林はなぜ格子状なのですか?

明治29年(1896年)の規程で、入植地を碁盤の目に区切り、その区画線の上に防風林を残す・植えることが決められたためです(林野庁)。このあたりは冬の北西風と夏の南寄り・北東の風のように季節で風向きが90度以上変わり、それを考えて防風林が構想されたと、中標津町の資料は書いています。

格子状防風林の大きさはどれくらいですか?

面積約1万5千ha、幅180m、総延長648kmです(林野庁)。地理院の写真で測ると、林の帯は多くの所で約2.2kmおきに並んでいます。

格子状防風林はいつ植えられたのですか?

区画と防風林の土地は明治に決められましたが、長くまばらな林や木のない土地のままの所も多く、昭和30年代から一斉に植林されました。成長の早いカラマツが信州から持ち込まれ、今はトドマツやアカエゾマツが中心です(中標津町)。

格子状防風林はどこから見られますか?

中標津町の開陽台(標高270m)の展望台から見下ろせます。

根釧台地へ行くなら

防風林の多くは防風保安林です。林の中に入ったり、木を傷つけたりしないでください。牧場の敷地や農道にも、許可なく立ち入らないでください。

この3D地形について

今の地形と写真、1961〜69年と1974〜78年の空中写真は、国土地理院のデータを開いたブラウザがその場で読み込んで描いています。範囲が約50km四方と広く、台地がなだらかなので、このページは高さを3倍に強調しています。

防風林の帯の間隔と幅は、地理院のシームレス空中写真(中標津町の計根別から開陽にかけて)をもとに、このサイトで測ったものです。格子が北から約47度傾いていることも、同じ写真で測りました。格子がこの向きになった理由を書いた資料は見つからなかったので、このページでは書いていません。

空中写真の出典:地理院タイル(シームレス空中写真、空中写真1961〜69年、空中写真1974〜78年)。シームレス空中写真は「電子国土基本図(オルソ画像)」、「簡易空中写真」などから作成されたものです。地理院タイル一覧

参考にした資料

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