3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル(5mメッシュ・10mメッシュ)、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年、空中写真1974〜78年)を加工して作成。高さは1.5倍に強調
地形でわかる北海道
石狩川はなぜ山を横切る?
旭川の街が広がる上川盆地。盆地を出た石狩川は、西の石狩平野へ向かう途中で、低い所を回らずに山(幌内山地)へ入っていきます。
川は約10kmにわたって山を削り、深い峡谷をつくっています。旭川駅から西へ約15kmの、神居古潭(かむいこたん)の峡谷です。
スクロールすると、盆地から山へ入る石狩川から、1億年前の岩、昔の川原が語る仮説、川沿いを走った鉄道へとたどります
現在
川幅が急に狭まる峡谷
峡谷では川幅が急に狭くなり、流れが激しくなります。いちばん深い所は、水深70mもあります。
険しい崖が10kmほど続くこの峡谷は、古くから交通の難所として知られてきました。
アイヌの伝説
舟を沈める魔神
かつてこの峡谷では、行き交う舟がよく転覆しました。アイヌの人々は、峡谷に住む魔神のしわざだと恐れていたという伝説が残っています。
神居古潭の名は、アイヌ語の「カムイコタン(神の里)」に由来し、このカムイは魔神(ニッネカムイ)を指しています。
約1億年前ごろ
沈み込み帯の深い所でできた岩
両岸には、縞模様や、ぐにゃりと曲がった緑色や青色の岩肌が続きます。蛇紋岩や、黒色片岩、緑色片岩、青色片岩などの変成岩です。
海のプレートが沈み込む海溝の、さらに地下深くで、低い温度と高い圧力によってつくり変えられ、その後地表まで上がってきた岩です。この岩の帯は「神居古潭変成帯」と呼ばれ、北は猿払村から南は新ひだか町まで、北海道を南北に約350km縦断しています。
白亜紀
東から西へ、若くなる岩
岩がつくり変えられた年代を測ると、石狩川沿いでは東から西へ、約1億年前から6000万年前ごろまで、順に若くなっていくことがわかっています。
「神居古潭渓谷の変成岩」は、2007年に日本の地質百選に選ばれました。
約280万〜210万年前
山の中腹に残る、昔の川原
峡谷の南にそびえる神居山(799m)。その中腹、標高350mの所から、川で丸くなった黒曜石の石が見つかっています。川が運んだ石の地層で、ここがかつて川原だったことを示しています。
同じ黒曜石を含む川原の地層は、旭川の春光台では標高150mほどにあり、約280万〜210万年前のものと考えられています。同じ時代の川原が、今は200mも高さが違うのです。
約280万年前?
盆地の湖が、山からあふれた?
なぜ川は山を横切るのか。旭川市博物館の学芸員は、黒曜石の石をもとに、ひとつの仮説を立てています。
峡谷はもともとなく、石狩川は別の方へ流れていたのかもしれません。約280万年前、大量の火砕流が盆地に流れ込んで川をせき止め、盆地は一時的に湖のようになった。その水が、西の山でいちばん低くなっていた所から流れ出し、峡谷が刻まれ始めた、という考えです。
約280万年前〜
山は、少しずつ持ち上がってきた
幌内山地は、中新世の中ごろ以降に大きく持ち上がってきたことが知られていますが、上がり方の細かいことは、まだよくわかっていません。
昔の川原の高さの違いから計算すると、山は盆地に比べて約280万年で200mほど、140年で1cmほどの速さで持ち上がってきたことになります。学芸員自身も「大変大雑把」としている、ひとつの仮説です。川は、持ち上がる山を削り続けて、峡谷を深くしてきたのかもしれません。
現在
魔神の足跡、甌穴群
吊り橋(神居大橋)から上流と下流の1,200mの川岸には、岩にあいた丸い穴が7つのまとまりになって並んでいます。川の浸食でできた「神居古潭おう穴群」で、大きいものは直径5mほどあり、国内最大級です。
「魔神が残した足跡」とも呼ばれ、1966年に旭川市の文化財に指定されました。
縄文時代〜擦文時代
峡谷のそばの暮らし
吊り橋から約1.5km下流には、北海道指定の史跡「神居古潭竪穴住居遺跡」があります。約3.5haの広さに219軒の家の跡と、砦の跡(チャシコツ)が見つかっていて、9世紀後半から12世紀ごろの擦文時代のものと考えられています。
神居山の中腹、標高213mの平らな所には、縄文時代後期のストーンサークルもあります。共同墓地として使われたと考えられています。
1961〜69年
川沿いを走った函館本線
1961〜69年の空中写真に切り替えました。石狩川の北の岸に沿って、カーブする線路が写っています。
函館本線は早くから石狩川の右岸(北の岸)に敷かれ、1901年12月5日には神居古潭駅もできました。崖が続く峡谷の、川沿いのわずかな土地を走っていました。
1974〜78年
川沿いから消えた鉄道
1974〜78年の空中写真です。川沿いの線路は、使われなくなった跡になっています。
1969年10月1日、トンネルの掘削と函館本線の電化・複線化に合わせて、峡谷沿いの線路は付け替えられ、神居古潭駅は廃止されました。線路の跡は、今は一部がサイクリングロードになっています。
現在
山を貫く新線と、残った駅舎
今の函館本線は、峡谷の北の山の下をトンネルでまっすぐ抜けています。
1910年に建てられた旧神居古潭駅舎は、1989年に廃止のときの姿に復元され、1991年に旭川市の文化財になりました。旧線のトンネル群も、「わが国有数の膨張性岩盤地帯に挑み」続けた施設として、2015年に土木学会の選奨土木遺産に選ばれています。
現在
山を削り続けた川
石狩川が低い所を回らずに山を横切っているのは、山が少しずつ持ち上がり続けるあいだも、川がその場所を削り続けてきたからだと考えられています。山が上がっても川が谷を掘り下げ続けたので、流れ道は山の中に保たれ、深い峡谷になりました。
では、最初にどうしてここが川の通り道になったのか。盆地の湖が山の低い所からあふれたという仮説はありますが、その始まりは、まだはっきりわかっていません。

