北海道暮らしの読みもの

3D地形を読み込んでいます

地理院タイル(標高タイル、全国ランドサットモザイク画像)を加工して作成。データソース:Landsat8画像(GSI,TSIC,GEO Grid/AIST), Landsat8画像(courtesy of the U.S. Geological Survey), 海底地形(GEBCO)。高さは1.5倍に強調

地形でわかる北海道

サロマ湖はどうやってできた?

サロマ湖は、面積151.63km²。琵琶湖、霞ヶ浦に次いで日本で3番目に大きな湖です。

けれども湖面の標高は0mで、水の塩分は海水に近く、2か所で海とつながっています。どうしてこんな湖ができたのでしょうか。

スクロールすると、約1万年前へさかのぼります

現在

海と湖を分ける、細長い砂州

湖の北側を、東西約28kmの細長い陸地が仕切っています。これが砂州で、ワッカ原生花園もこの上にあります。

砂州には2か所の切れ目があります。どちらも、自然にできたものではなく、人が掘ったものです。

約1万年前

ここは、川の流れる低湿地だった

地質調査所の論文によると、約1万年前の海面は今より20mほど低く、湖のあたりは川の流れる低湿地だったと推定されています。

湖底の形はデータがないので、この場面の地形はイメージです。

約6000〜5000年前

海が入り込み、湾になる

その後、海面が上がって今より4m前後高くなり、海が内陸まで入り込みました。「古サロマ湾」です。

湖の周りには、この時代の貝塚が残っています。暖かい海の貝であるハマグリやカキも採れていました。海岸線はイメージです。

約4000〜1500年前

砂州が伸びて、湾をふさぐ

海面が下がるにつれて、湾の入り口の岬を中心に砂がたまり、砂州が西から東へ伸びていきました。こうして湾は湖に変わっていきました。

論文の説明をもとにした伸び方のイメージで、実際の順番を再現したものではありません。

約4000〜1500年前

湖は、東西に分かれていた

当時の海面は今より1〜2m低く、キムアネップ岬から北へ続く低い陸地が、湖を東と西に分けていました。

緑の線は、そのおおよその位置を示すイメージです。今も湖の底には、この方向に浅い場所が続いています。

その後

海面が戻り、1つの湖に

海面が今の高さまで戻ると、東西の湖はつながりました。

海への出口は、湖の東の端にある鐺沸(とうふつ)だけになりました。ただ、この年代には説明の幅があり、湖になった時期も確定していません。

明治〜昭和の初め

毎年、人が砂を掘って開けていた

鐺沸の出口は、秋の波で運ばれた砂でふさがりました。すると雪どけ水で湖の水位が上がり、畑が水に浸かります。

そこで春になると、人が砂を掘って水路を開ける「汐切り」をしていました。出口が浅くて狭いので、水の入れ替わりは悪いままでした。

1929年春

掘った溝が、嵐で大きな湖口に

湖の西側の漁師は、海に出るのに東の端まで回らなければなりませんでした。そこで、近い場所の砂州を掘り始めます。何度も失敗しました。

1929年春、幅7mほどの溝を掘り終えても、水はほとんど流れませんでした。ところがその夜の嵐で流れが一気に強まり、幅約200mの湖口になりました。これが今の第1湖口で、以来ふさがっていません。

1929年のあと

カキの湖が、ホタテの湖に

海水が入るようになると、湖の塩分は海水に近くなり、夏の水温は上がらなくなりました。それまでは、水がよどむことで上層が温まり、カキが産卵できていたと論文は分析しています。

カキは増えなくなりました。一方、湖の中でホタテの稚貝が見つかり、養殖の試験が始まります。サロマ湖は、ホタテ養殖の発祥の地になりました。

1973〜1979年

第2湖口を開ける

それでも湖の東側は、水の入れ替わりが足りませんでした。そこで国の事業で2つ目の湖口を開ける工事が1973年に始まり、1979年に完成しました。幅50m、水深4mです。

湖口を保つのは簡単ではありません。2012年には、流れ込んだ砂で第2湖口の航路が埋まる災害が起きています。

1974年〜

湖口からは、流氷も入ってくる

海とつながると、冬には流氷も入ります。1974年1月には、大量の流氷で養殖施設が壊され、約22億7千万円の被害が出ました。

そこで作られたのが「アイスブーム」です。第1湖口の内側にロープを張り、海水は通しながら流氷だけを止めます。

現在

オホーツク海のホタテを支える湖

今は湖面の半分以上が、ホタテとカキの養殖に使われています。

湖で育てた稚貝は、オホーツク海にまかれて大きくなります。北海道開発局によると、オホーツク海のホタテは全国生産量の約6割を占め、サロマ湖はその稚貝の供給地です。

現在

そして、今のサロマ湖へ

海が砂州で閉じて湖になり、その砂州を人が開けて、また海とつながりました。

波が作った地形と、そこで暮らす人の工事が重なって、今の湖ができています。

サロマ湖の基本データ

面積151.63km²(琵琶湖、霞ヶ浦に次いで3番目)
最大水深19.6m
湖面の標高0.0m
塩分31〜33‰(海水に近い)
砂州の長さ東西約28km

面積、水深、標高は国土地理院の湖沼調査、塩分はサロマ湖養殖漁協によります。砂州の長さは、当サイトが標高データから測ったおおよその値です。第1湖口より東のワッカの砂州は、観光案内では長さ約20kmとされています。

サロマ湖の移り変わり

約1万年前海面が今より20mほど低く、川の流れる低湿地
約6000〜5000年前海が入り込み「古サロマ湾」になる
約4000〜1500年前砂州が伸びて湖になる。東西に分かれていた
その後海面が戻り、東西がつながる。出口は東端の鐺沸
1929年第1湖口ができる
1974年流氷で養殖施設に大きな被害
1979年第2湖口が完成(1973年着工)

1万年前から1500年前までは大島(1971)の推定で、海面の高さも推定です。50年以上前の論文で、その後の研究で見直されている可能性があります。湖になった時期は資料によって違い、約3000年前、約1000年前とする解説もあります。第1湖口の日付も、4月17日、4月20〜21日、5月20日と資料によって分かれるので、「1929年春」としました。第1湖口の幅も約180m、約200mと資料で差があります。第2湖口の完成は、1978年(昭和53年)とする資料もあります。

よくある質問

サロマ湖はどうやってできたのですか?

海の湾の入り口に砂州が伸びて、湾がふさがれてできました。このような湖を海跡湖といいます。論文では、約4000〜1500年前の海面が低かった時期に湖へ変わっていったと推定されています。

サロマ湖は海とつながっているのですか?

はい。第1湖口と第2湖口の2か所でオホーツク海とつながっています。どちらも人が掘って開けたものです。

サロマ湖は海水ですか、汽水ですか?

分類は汽水湖ですが、塩分は31〜33‰で海水に近く、サロマ湖養殖漁協は「海水湖」とも説明しています。

サロマ湖はなぜホタテが有名なのですか?

1929年の第1湖口の開削で湖の環境が海に近くなり、ホタテの稚貝が見つかって養殖の研究が進んだためです。ホタテ養殖の発祥の地とされています。

なぜサロマ湖のカキは減ったのですか?

湖口の開削後、夏の水温が産卵に必要な高さまで上がらなくなり、稚貝が増えなくなったためと分析されています。今のカキは、稚貝を移入して養殖しています。

サロマ湖は日本で何番目に大きい湖ですか?

琵琶湖、霞ヶ浦に次いで3番目です。

サロマ湖へ行くなら

サロマ湖の面積や水深は、北海道の湖沼カタログでも見られます:サロマ湖(常呂郡佐呂間町・北見市・紋別郡湧別町)

この3D地形について

今の地形は、国土地理院の標高タイルと衛星画像を、開いたブラウザがその場で読み込んで描いています。一方、昔の海面と海岸線、砂州の伸び方、東西を分けた陸地の線、湖口がなかった頃の砂州、湖の底の形はイメージで、当時を正確に再現したものではありません。湖の底は測量データではなく、海岸からの距離で作っています。第2湖口は幅が狭く、この地図の細かさでは切れ目として見えません。画面の右上に、イメージかどうかを表示しています。

画像の出典:地理院タイル(全国最新写真(シームレス)のズームレベル13以下にあたる全国ランドサットモザイク画像)。データソース:Landsat8画像(GSI,TSIC,GEO Grid/AIST), Landsat8画像(courtesy of the U.S. Geological Survey), 海底地形(GEBCO)。地理院タイル一覧

参考にした資料

北海道暮らしの読みもの