3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真、空中写真1961〜69年)を加工して作成。高さは2倍に強調
地形でわかる北海道
函館の夜景はなぜくびれている?
函館山から見下ろす夜景は、両側から海が迫って細くくびれ、その先で扇のように開きます。
このくびれは、街が作ったものではありません。元になっているのは地形です。この画面の明かりは、昼の写真から作ったイメージで、実際の夜景ではありません。
スクロールすると、砂州ができる前へさかのぼります
現在
上から見ると、山と本土の間が細い
西に函館湾、東に津軽海峡。その間の細い土地が、南西の函館山と本土をつないでいます。
このような地形を、トンボロ(陸繋砂州)といいます。砂州でつながった函館山は、陸繋島と呼ばれます。
現在
砂州は、くびれの部分だけ
函館の街はすべて砂州の上にあると紹介されることがあります。ただ、函館市史の銭亀沢編によると、陸繋砂州は千代台の台地の縁から函館山のふもとまでの約3kmです。
扇のように開いて見えるのは、その手前にある古い砂州の段丘(函館段丘)が、もともと扇形をしているからです。
砂州ができる前
函館山は、海に浮かぶ島だった
函館山は、かつて孤立した島でした。
砂州を消した想像の姿です。古い段丘は残し、海岸線はイメージで描いています。当時の正確な海岸線は再現していません。
砂州ができるまで
2つの流れが、砂を運んでくる
函館湾へ入る流れと、大森浜の沿岸を立待岬へ向かう流れ。この2つが、とがった形の砂の岬を作り、やがて函館山へ続いたと考えられています。
材料の土砂は、津軽海峡や函館湾、大森浜から運ばれました。光る線は流れのイメージで、実際の位置ではありません。
約4,000年前〜
先に、砂州の島が顔を出す
市役所のそばで見つかった貝の化石は、約4,000年前のものでした。このころ、砂州の本体はまだ海面の下で作られていたようです。
その後、この付近は細長い「砂州島」として海上に現れたとみられています。どこまで出ていたかはイメージです。
約2,500年前
つながった時期は、まだわかっていない
約2,500年前でも、砂州の付け根にあたる宮前町は浅い海でした。
市史の銭亀沢編は、砂州が完全に函館山とつながった時期は「いまだ確認できていない」としています。この地形の謎の一つです。
1961〜69年
砂州の上に、街が広がる
1859年の開港で外国人が暮らすようになり、函館山のふもとに異国情緒のある町並みが生まれました。砂州は港と外海に挟まれた土地です。
これは1961〜69年の実際の空中写真です。砂州の街並みと、北に五稜郭が写っています。
明治〜昭和
高さ30mの砂山があった
砂は、風で吹き上げられて砂丘も作りました。大森浜の砂山は高さ約30m、広さは東西1km、南北300mほどあったといわれます。
石川啄木が歌に詠んだ砂山ですが、砂鉄の採取や工事の材料などに使われ、1980年刊の市史の時点で「見る影もなくなって」いるとされています。
明治末期〜1945年
半世紀、入れなかった函館山
砂州の先の函館山は、明治末期から1945年まで要塞とされ、市民の立ち入りが禁止されていました。
1946年に一般に開放され、今は夜景を見下ろす展望の場所になっています。
現在
そして、今の夜景へ
くびれは約3kmの砂州、扇形は古い砂州の段丘。夜景の形は、そのまま数千年の地形の歴史です。
次に函館山に登ったら、光の帯の下にある砂を思い出してみてください。この画面の明かりはイメージです。

