3D地形を読み込んでいます
地理院タイル(標高タイル、シームレス空中写真)を加工して作成。国土地理院の空中写真(米軍撮影、USA-M1204-10)をもとに当サイトが位置合わせして加工。高さは1.5倍に強調
地形でわかる北海道
襟裳岬はどうやってできた?
北海道の背骨と呼ばれる日高山脈は、南へ進むにつれて少しずつ低くなり、そのまま太平洋に沈んでいきます。その先端が襟裳岬です。
北から南を見下ろすと、山並みが岬へ向かって細くなっていくのがわかります。
スクロールすると、日高山脈の果てから岬をたどります
新第三紀以降
プレートがぶつかってできた山脈
日高山脈は、大陸のプレート同士がぶつかってできました。東側のプレートの地殻がめくれ上がるように突き上げられ、本来は地下深くにある地層が地表に現れています。
南北およそ140kmの山脈の、最後の部分を見ています。
現在
岩礁が、沖へ続く
岬の先から、岩礁が約2km沖まで続いています。えりも町によると、海の下ではさらに約6km続きます。
山脈が、そのまま海の中へ続いていることを物語る景色です。
現在
アザラシの岩礁
沖へ続く岩礁には、ゼニガタアザラシが上がって日光浴をする姿が見られます。
岩礁のまわりは海流が速く、隠れた岩もあって、小舟でも近づくのが難しい場所です。
現在
平らな台地と、強い風
岬の上は平らな台地になっています。海面の上がり下がりと土地の隆起でできた、海成段丘です。
襟裳岬は、風速10m以上の風が吹く日が年に260日を超える、国内有数の強風地域です。
明治以降
森が消えた
岬はもともと、カシワやミズナラ、シラカバの広葉樹の森に覆われていました。
明治以降、燃料のための伐採や、牛・馬・羊の放牧で森が切り開かれ、強い風にさらされた土地は荒れていきました。
1948年
「えりも砂漠」
1948年に米軍が撮った空中写真に切り替えました。百人浜の海岸沿いに、白い砂地が帯のように続いています。
このころの岬は「えりも砂漠」と呼ばれるほど荒れていました。強い風で舞い上がった赤土は10km沖まで海を黄色く濁らせ、昆布は根腐れし、魚も減りました。
1948年
岬の先まで、荒れた台地
岬の先の台地も、木のない明るい色に写っています。
砂や泥は家や飲み水にも入り込み、住民は集団で移転することさえ考えたといいます。写真の位置は、今の海岸線に合わせたおおよその位置です。
1953〜70年
海藻で、種を守る
1953年、国(林野庁)が緑化の事業を始めました。強い風で種が飛ばされ、はじめは失敗が続きます。
1957年、地元の人の提案で、まいた種の上に浜に打ち上げられた海藻(ゴタ)をかぶせる「えりも式緑化工法」が生まれました。荒れた土地約192haの草の緑化は、1970年にほぼ終わりました。
現在
クロマツの森が戻る
木は、北海道には自生しないクロマツがいちばんよく育ちました。2007年度末までに、荒れた土地の約94%にあたる181haが森になっています。
1948年に白い砂地だった百人浜の海岸沿いには、今、緑の林の帯が続いています。
1965〜2007年
森が戻り、海も戻った
森が戻ると、海に流れ込む赤土が減りました。漁獲量は、1965年度の227トンから、2007年度には2,476トンになっています。昆布の品質も良くなりました。
緑化は2023年度で70年を迎えました。
現在
新しい国立公園の岬
2024年6月25日、襟裳岬は日高山脈とともに「日高山脈襟裳十勝国立公園」になりました。
岬はアイヌの人々にとって大切な場所で、「ピリカ・ノカ」として国の名勝にも指定されています。山脈の果ての岬は、人が森を取り戻した岬でもあります。

